为什么东京地铁站名多用奇数,大坂多用偶数?(组图)

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东京メトロや都営地下鉄の駅名には、银座一丁目、新宿三丁目、青山一丁目、西新宿五丁目、四谷三丁目などと、「○丁目」が付くものも多い。一方、大坂メトロ(Osaka Metro)の駅名にも、天神桥筋六丁目、谷町四丁目、谷町六丁目、瑞光四丁目、蒲生四丁目など、こちらも「○丁目」駅がチラホラ。

在东京metro和都营地铁站名中,有很多以“○丁目”结尾的站名,例如银座一丁目、新宿三丁目、青山一丁目、西新宿五丁目、四谷三丁目等等;另一方面,大坂metro中的站名中也是如此,例如天神桥筋六丁目、谷町四丁目、谷町六丁目、瑞光四丁目、蒲生四丁目等等。

そう思いながらよくよく确认すると、「○丁目」が付く地下鉄の駅名は东京ではすべて奇数、大坂ではほとんどが偶数(奇数は谷町九丁目駅の1つだけ)と、なぜか奇数と偶数で大きく偏っている。ここまで偏るのは、何か理由があるに违いない!

不过,仔细观察后会发现,两地站名的奇偶分别很明显,东京地铁站名中带有“○丁目”的全部是奇数,而大坂则大多是偶数(只有谷町九丁目站是奇数)。分得如此清楚一定是有什么理由才对!

今回、话を闻いたのは鉄道ジャーナリストの渡部史絵さん。幼少期からハマりだした鉄道への爱は现在も冷めることなく、鉄道に関する着书を出版したり、鉄道雑志でも多くの连载を抱えている生粋の鉄道マニアだ。

本次我们就该问题询问了铁道记者渡部史绘。她自小深爱铁道,如今热爱不减,而且出版了许多关于铁道的书籍,在铁道杂志中也手握诸多连载,称得上是一个铁道狂热粉丝。

「东京が奇数、大坂は偶数の駅名が多いことは私も前々から疑问に思っていましたが、地下鉄各社に闻くと、みなさん“たまたまだと思います”とか、“偶然です”としか答えてくれないんです。公式がそう言ってはいるんですが、この偏りは絶対、不自然ですよね……」

“我之前也对为什么东京站名是奇数,大坂站名大多是偶数抱有疑问,向个地铁公司询问后,大家都回答‘碰巧’“偶然”之类的。虽然官方是这么回答的,但如此大的偏差绝对不自然吧......”

昔すぎて资料が残っていない

历史久远没有资料可循

谛めきれない渡部さんは奇数・偶数駅名の谜について、”鉄道界の神”と呼ばれるような大ベテランの人にも闻いたことがあるそうだが、そんな重镇からも「确信が持てない」という答えが返ってきたというのだ。なんで谁もわからないの?

面对奇数偶数的谜题,渡部没有放弃,她又向被称作“铁道界之神”的大专家询问,但这位权威人物也给出了“没有确切答桉”。为何没有人知道准确原因呢?

「地下鉄のそもそもの成り立ちが100年近く前であるため、资料が残っていないことが大きな理由の1つです。现存する资料がないくらい昔のことですから、当时の状况を知る鉄道会社の関係者もお亡くなりになってしまっていることがほとんどで、调べようにも调べられないんですよ」

“地铁原本的建成时间是在将近100年前,所以最大的原因就是没有资料存留,而且古老到现存资料之前了,了解当时状况的铁道公司人员也早已不在人世,想调查也没有渠道”。

気になるのは渡部さんの「そもそもの成り立ち」という含みのある言い方。続けて闻くと、地下鉄の駅名が名づけられた経纬は、さらに过去にさかのぼるという。

值得注意的是渡部“原本的建成时间”这句似乎有所内涵的话。继续询问后,她表示,地铁的站名可以追溯到更加久远的过去。

「地下鉄は路面电车の代替交通として整备が始まったので、駅名は利用客になじみがあった、近くの路面电车の电停名から取っているケースが多いんです。そんな路面电车が东京や大坂で整备され始めたのは1900年代初头。《関东大震灾で资料が焼失した》という记録も存在するそうですし、それほど昔と考えると、残念ですが资料が残っていないことにも纳得できます」

“一开始,地铁是作为路面电车的代替工具开始建设的,因此很多站名沿用了乘客熟悉的名字,大多都是用附近路面电车的车站命名的。而东京和大坂的路面电车都是在二十世纪初开始建设的。相关资料只有一条‘因关东大地震资料被烧毁’的记录,而且要考察这么古老的内容,遗憾的是恐怕本身也没有相关资料可供查询。”

大本の由来こそ不明な点は多いものの、路面电车や地下鉄の駅名に「○丁目」と付けられた理由は明确だ、と渡部さんは続ける。

但渡部也称,虽然根本原因有很多不明之处,但路面电车和地铁站名中使用「○丁目」的理由很明确。

「路面电车は电停の间隔が平均で400メートル(徒歩5分)ほどしかありません。そのため、例えば地下鉄の駅名を近くのランドマークから取って『△△前』などとすると、隣の駅と溷同してややこしくなるため、『银座一丁目』のように交差点名をそのまま付けるケースが多かったんです。

“路面电车的车站平均400米(徒步5分钟)左右就会设立一站。所以,如果地铁站名用附近地标取名为‘△△前’的话就容易和周围的车站溷淆十分复杂,所以有很多类似于‘银座一丁目’这样的路口交叉点名就直接沿用到站名当中了。”

その后、地下鉄に移行する际に利用客が溷乱しないようにと、すでに浸透していた路面电车の电停名が流用されました。これが『○丁目』という駅名が残った理由です」

“之后,为了在乘客从路面电车向地铁的转换过程中避免不必要的麻烦,地铁站名就直接沿用已经被大家所熟知的路面电车站名。这就是‘○丁目’站名沿用至今的原因”

「○丁目」駅の奇数・偶数の真相に迫る

直击“○丁目”奇偶之谜真相

地下鉄の駅名に「○丁目」と付く理由はわかった。ここからはいよいよ、东京には奇数、大坂には偶数の駅名が多い真相に迫っていく。

我们知道了地铁站名为什么要加“○丁目”。接下来终于要开始探索东京站名为奇数,大坂大多数站名为偶数之谜的真相了。

「これまで话したように资料がないため、私の取材や调査、読んだ文献から得た知识に基づいた推测になってしまうのですが、地下鉄の駅名が奇数や偶数に偏った原因には、それぞれの”地域性”が影响しているのではないかと考えています」

“正如之前所说,由于资料缺失,所以很多原意都是我个人基于自己的采访调查以及读过的文献之后进行的推测。之所以地铁站名会有奇偶偏向,可能是受到了各自地区的‘地域性’影响。”

「まず东京ですが、元来、日本の縁起ごとやお祝いごとには『七五三』を始めとして奇数が入ったものが多く、なかでも『1』が好きだと记述された文献がいくつもあります。そんな奇数好きの日本で、特に関东の人は、奇数を好むと言われています。このことから、例えば、特にランドマークがなく、駅が町名の境に存在して、一丁目と二丁目のどちらを付けても大丈夫な场合などに、“それなら縁起のいい奇数にしよう”と、奇数の駅名を流用した可能性は考えられます」

“首先来说说东京。原本日本的吉祥日或者祈愿仪式等传统就是以‘七五三’为首的奇数居多,其中也有文献记载‘1’最受欢迎。由此可见日本本就偏向奇数,尤其是关东人更是对奇数喜爱有加。因此,就有这么一种可能,当这个车站四周没有特别地标、又处在某街道界内,无论取一丁目或二丁目都没有问题的情况下,很多人认为‘不如用寓意比较好的奇数’,所以就使用了奇数的站名。”

最终的に駅名を决めるのは鉄道会社の社员だが、当时は现在よりも地元出身の社员が多かったはず。そう考えると、上记の理由で奇数を选択したという推测もなかなかリアリティがある。

虽然最终决定站名的是铁道公司的员工,但相比于现在,当时的大部分员工应该都是本地人。这么想来,上述所说选择奇数的理由并不是不可推敲。

「一方、大坂は商人の街なので、お客さんと五分五分だとか、いまで言うwin-winの関係を愿って、“同じ数で半分に割れる偶数”が好まれる文化なんです。そんな地域性から、一丁目か二丁目を选ぶ际に偶数を选んだのではないでしょうか」

“另一边,大坂商人居多,讲求与客人五五分,也就是现在所说的‘双赢关系’,因此那边的文化更偏向于‘可以平均分开的偶数’。出于这一地域性影响,在选择一丁目还是二丁目时或许就会选择偶数”。

駅名と所在地が违う!?

站名和所在地不同!?

渡部さんの説は「(奇数・偶数の偏りが)たまたまではない理由」として十分に考えられる。银座一丁目や六本木一丁目など、基本的にはストレートに所在地を駅名にしたものが多いなか、一风変わった由来の駅名もあるんだとか。

渡部的说法让我们更加确信“(奇数偶数的偏向)不是偶然”。不过,虽然其中有很多直接沿用所在地作站名的情况外(例如银座一丁目、六本木一丁目等),还有一些由来比较奇怪的站名。

「例えば、青山一丁目駅は现在の所在地が『南青山一丁目』なのに『南』が駅名に付いておらず、所在地と駅名が一致していません。それに『青山一丁目』という地名は、过去も现在も存在していません。それにもかかわらず现在の駅名が使われているのは、银座线の开业时に都电の『青山一丁目』という名称の电停が交差点にあり、そこから取られたものを使い続けているからだと推测できます。

“比如说,青山一丁目站处于‘南青山一丁目’,但站名里却没有加‘南’字,也就是说所在地和站名不一致。而且,‘青山一丁目’这个地名从古至今都不存在。但关于它能沿用至今的理由,有推测认为当时银座线开始运营时,都营线上有一个叫‘青山一丁目’的车站,因此官方便直接沿用了该站”。

余谈ですが、现在の外苑前駅はもともと青山四丁目駅でしたし、表参道駅は青山六丁目駅でした。広く认知されるランドマークができたから駅名が変更されたということも考えられますが、当时、地下鉄に不惯れな乗客が『あおやま』と闻いて反射的に乗り降りを间违えるケースが多かったから、という説もあります」

“说句题外话。现在的外苑前站原本是青山四丁目站,表参道站原本是青山六丁目站。也有可能是后来有了着名地标所以换了站名,也有说法说当时还不习惯坐地铁的乘客们听到广播里说‘AOYAMA(青山)后就会条件反射地剩下车,造成很多乘客搞错路线的情况。’”

大坂にもひとひねりある駅名があるという。

大坂也有这样让人意想不到的站名。

「大坂メトロの蒲生(がもう)四丁目駅は、所在地としては今福西三丁目なんです。駅名のとおり、蒲生四丁目の交差点の直下に駅があるのですが、この交差点で交わる道路が4つの町名の境界となっていて、それぞれ北西が中央一丁目、南西が蒲生四丁目、北东が今福西三丁目、南东が今福西一丁目となっています。地元では『がもよん』と惯れ亲しまれている地名ですし、大坂市电・天満今福线にも蒲生町四丁目の电停(1950年开业)があったことも、现在の駅名の由来だと考えられます」

“大坂metro的蒲生四丁目站位于现在的今福西三丁目。与站名同名的蒲生四丁目街道交叉路口下也有车站,但因为这个交叉点有四条道路相接,因此有北西方向的中央一丁目、南西方向的蒲生四丁目、北东方向的今福西三丁目和南东方向的今福西一丁目。当地人亲切地称这里是‘がもよん’,再加上大坂市电车天满今福线上也有蒲生町四丁目这一站名(1950年开始运营),所以才有了如今的地铁站名。”

地下鉄ではないが、东京・港区にあるJR品川駅や、品川区にあるJR目黒駅も、ルーツをたどれば、现在の所在地とズレている理由が见えてくるそうだ。

此外,除了地铁之外,位于东京港区的JR品川站和位于品川区的JR目黑站,追根溯源之后也发现它们和现在的所在地有所偏差的理由。

「これらも资料がないので私の推测になってしまいますが、品川駅は开业当时(1905年)、周辺が『品川凑』と呼ばれていたことに由来すると考えられます。目黒駅は开业当时(1885年)、所在地が『上大崎村』だったので『上大崎駅』となってもおかしくなかったのですが、近くに江戸时代から広く亲しまれていた目黒不动尊があったため、そこから取ったのかなと思います。どちらも大きな駅なので気軽に駅名は変えられないでしょうし、それが现在まで続いているはずです」

“由于这方面资料的缺失,所以也只能推测。品川站的由来可能是因为开始营业时(1905年),这周围当时被成为‘品川凑’。目黑站在开始营业时(1885年)所处地为‘上大崎村’,所以原本车站叫‘上大崎村’也很正常,但由于那附近有自江户时代就深受喜爱的目黑不动尊,所以就从中取名了。这两个站都是大站,想必不会轻易改名,所以才沿用至今”。


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